前回のブログに引き続きまして、マナ助産院(神戸市北区、永原郁子院長)の「小さないのちのドア」関連の投稿です。
先日、厚生労働省が内密出産の法整備の可能性につき調査研究に乗り出すとの記事がありました。厚労省は研究結果を今年度末にまとめる予定とのことで、一方、慈恵病院は法整備を待たずに内密出産を始めたいようですが、日本ではまだあまり耳に馴染みのない「内密出産」が、今後さかんに議論されることを期待します。
報道によりますと、慈恵病院が熊本市に提出した内密出産制度の素案は次のとおりです。 ①妊婦の母親は仮名で、慈恵病院が妊娠中から相談を受ける。 ②病院は熊本市に母親の仮名と子どもの名前の候補を届け出る。 ③母親は病院の仲介で児童相談所と面談し、児相は母親の実名、住所など、子どもの出自につながる情報を管理する。 ④出産すると熊本市が子どもの単独戸籍を作成し、子どもの名前を児相に通知する。 ⑤児相は特別養子縁組のあっせんをし、子どもは養親へ託される。なお、養親は出産の費用を負担する。 ⑥子どもが18歳を過ぎれば、母親の情報が閲覧可能になる。 母親が閲覧を希望しない場合は、家庭裁判所に判断をゆだねる。(弁護士ドットコムニュース 2018/5/30)
なぜ内密出産なのか。それは、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)を実施するに際して、反対派が厳しく追及した理由のひとつである「子どもの出自を知る権利」への対応策が求められたからです。 赤ちゃんポストの場合、匿名で子どもを預け入れることができ、それゆえ子どもの命は守られますが、自身の親についての情報が残されないことから、子どもは自らの出自につき知ることができません。
しかし、赤ちゃんポストは匿名であるからこそ母親はこれを利用するのであって、ここで母子の生命身体の安全と子どもの出自を知る権利とが衝突します。 この点に関しては、前者が後者を優越するとの私見を前回のブログで書きました。 ドイツにおいては、赤ちゃんポスト、匿名出産に加え、この内密出産という三つ目の選択肢が提唱され、2014年5月1日より「内密出産法」が施行されたとのことです(以上に関しては、柏木恭典氏が「名前のない母子をみつめて(蓮田太二氏との共著)」において詳しく解説されていますので、よろしければご覧いただければと思います。)。
さて、翻って日本においてこれを検討してみますと、法整備の実現性、すなわち法的問題点としてはどのようなものが挙げられますでしょうか。 以下、あくまでも一弁護士として素朴な「疑問」を述べます(したがって、これらに対して私自身回答をまだ持ち合わせているわけではないことをご容赦ください。)。
まず、母親の情報の管理をどの機関が行うのでしょうか。ドイツにおいては、「妊娠葛藤相談所」という公的な承認を受けた団体が母親の情報などを文書化し、これを「家族・市民社会任務連邦庁」という機関に送付し、そこで16年間保管されるということです。日本においては、妊娠葛藤相談所に代わる機関はなく、また今後行政がそのような機関の設置を実現させたとしても、そもそも行政機関を頼ることなく孤立出産を余儀なくされている母親たちが本議論の当事者であることから、そのような施設への相談が普及するでしょうか。上の慈恵病院の素案では、児相がこの役割を担うことが期待されているようですが、実際問題としてこれは現実的かつ妥当な案なのでしょうか。彼女たちの行政に対する不信・恐怖というものは、我々が思う以上に深く、この点は、民間団体を主体とすることも検討すべきではないかと考えます。 あるいは、当該民間団体が妊娠葛藤相談を行い、その後、職務上の守秘義務を負う弁護士へと連携がなされ、遺言書のように、公正証書を作成して、公証役場および法律事務所において情報が保管されるというパターンも検討に値するのではないかと思われます。もっとも、遺言書の場合も、作成後に弁護士個人が遺言者と連絡を密に取り合うことまでは必ずしも保証されておらず、また、16年乃至18年という長期に渡り保管するとなると、当該弁護士が死亡することも考えられるため、保管者は弁護士法人に限定した方がよいのかもしれません。尚、児相のように行政がこれを管理する場合には、行政機関の保有する情報の公開に関する法律との平仄を合わせるべく法改正も必要でしょうか。もちろん法改正に関しては、戸籍法との関係も課題です。
次に、母親の情報の開示の場面に関してですが、その母親が開示に反対する場合の手続き如何という問題もあります。すなわち、母親が開示に反対する場合、裁判所が判断するという話を聞いたことがありますが(上の素案では、家庭裁判所が想定されているようです。)、まず、これは人格権に基づく差止請求権を指すのか、あるいは法令に別個の規程を盛り込むのかという疑問です。おそらくは後者ではないかと思われますが、その場合、母親が所在不明となっており、当該母親の同意(言い換えれば、差止請求権行使の機会の付与)なくして開示請求がなされた場合の救済に関しては、何か手当てが用意されているのでしょうか。また手続の中身に関しては、自己に関する情報を子どもに知られることにより現在母親が被るであろう損害と、子の出自を知る権利との比較衡量により開示の可否が決するのでしょうが、主張責任も含め、司法がこれにどのような審理および判断をするのかについては、実際に制度がスタートしてみないと分からないのかもしれません。この点、ドイツでは如何様な法的な対策が用意されているのでしょうか? ひとたび内密出産に同意した以上、「差止請求権を行使しない」=「開示に同意している」という推定が働くという考えでしょうか?ここでは、(倫理上の問題はともかく)母親にとっても「知られたくない権利」という概念を検討する必要があるのかもしれません。
そしてそもそも、開示手続に関する裁判所の実際の関与(審理手続)はどのようなものになるのでしょうか。家裁が管轄裁判所となるとすると、通常の家事事件と同様、調停ないし審判という形式を採るのであれば、知られたくない母親(=会いたくない母親)が裁判所に姿を表すことは期待できないでしょう。また、そもそも開示請求権者(子ども)にしてみると、相手方である母親の情報を持ち合わせていないため、送達の問題も発生します。あるいは、母親は当事者とならず、母親の意向を汲んだ当該情報の保管者が手続きの当事者となるのでしょうか?遺言執行者とパラレルに考えることになるのでしょうか。 しかし、その場合の手続き費用は誰が支弁するのでしょうか?この点も、ドイツではどのような手続きとなっているのでしょうか。 さらに、民法の成人年齢引き下げとも関連するかもしれませんが、開示請求権を付与される年齢も別途検討を要するでしょう。
さて、思いつくままに徒然と書きましたが、実際にこの制度を日本に導入するにあたっては、法的な側面だけに限定しても、上記以外にも実に様々な検討事項が発生するものと思われます。引き続き、本件の動向に注目したいと思います。
(弁護士 中川内峰幸)